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橋本努の音楽エッセイ 第12回「国境を越え多様化し融合する民謡 バルトーク(2)

雑誌Actio 20106月号、23

 


 20世紀の前半、バルトークが企てたハンガリー民族音楽の体系化は、後続の研究者たちによってさらに発展した。けれども三万曲以上の民謡を、いかにして分類すべきなのか。最終的な決着がついたわけではない。

 それもそのはず、ハンガリーは国家として独立する前に、自前の音楽を内生的に発展させてきたわけではないからだ。実はバルトークも、このことに気づいていた節がある。アルジェリアへ音楽収集の旅行に出かけたとき、バルトークはそこで耳にした民謡が、ルーマニア人の謡う東洋的な色彩を帯びた旋律によく似ていることに気づいた。似たような旋律は、ウクライナ、イラク、ペルシア、旧ルーマニアにもみられる。そうしたグローバルな影響関係のなかに、ハンガリーという国も位置するということは、容易に想像できたであろう。

 民謡のスタイルは、人々の交易圏の変化とともに、しだいに変化していく。民謡は国境をもたない。20世紀の後半になると、ハンガリー国内の民謡も、ますます多様化していった。地理的には交差的な場所にあるこの国は、すでに、ほとんどすべての音楽をチャンポンしてしまったのではないか、と疑いたくなる。だがそんな国の音楽に、オリジナリティがないかと言えば、そうではない。むしろ多様な民謡がたくましく攻めぎあい、新たな融合をみせている。その輝かしい成果は、極上の女性ヴォーカル作品『くちづてに』であろう(szájról szájra, BNSCD8850, 2007, アオラ・コーポレーションより輸入)

 この作品は、ボグナール・シルヴィア、ヘルツク・アーグネシェ、サローキ・アーギという三人の実力派歌姫が一同に結集して、ハンガリーのさまざまな民謡を一つの曲の中に織り込みながら、そこにバルカン風、インド風など、多様な楽器編成によって、民族の精神を表現している。繊細にして大胆な編曲が比類なき印象を与え、そこにハンガリー民謡の精神が溶け込んでいくのだから、不思議だ。解説によると、歌姫のシルヴィアは、オーストリア国境に近いソンバトヘイに生まれ、大学では民俗学を専攻した。アーグネシェは大学で現代舞踊を専攻した後に、民族舞踊団で民謡歌手となる。アーギは伝統的な民謡歌手。この三人の持ち味が、ニコラ・パロフの編曲によって充分に発揮され、ハンガリーの民謡音楽はここに、現代的な結晶化を遂げたようだ。

 バルトークがもし21世紀に生きていたとしたら、こんな民謡ポップスを生み出したかもしれない。彼は自分の人生を、祖国ハンガリーのために尽くすと決意していた。その精神を継承するのは三人の歌姫たちではないか。むろんバルトークは、ルーマニア音楽よりもハンガリー音楽のほうが優越しているという偏見をもっていた。だがいまの私たちに必要な民族の精神とは、交流する多様な文化をすべて飲み込みつつ、自身を多元化していくことではないか。多元化してもなお自己主張できるような、そんな独自の精神を築いていく。伝統的で現代的な、懐かしくて斬新な、そんな精神を生み出したハンガリーの歌姫たちに、こころから、祝福、乾杯したい。